FC2BBS

27622
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

1前田玄長・・・ - satto320

2017/11/23 (Thu) 09:51:27

★菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー義朝ー坊門姫 (一条能保室)ー全子(西園寺公経室)ー実氏ー公相ー実兼ー公顕ー女子(今出川兼季室)ー実尹ー実直ー公行ー実富ー教季ー公興ー季孝ー女子(庭田重親室)ー重保ー正親町季秀ー持明院基久ー河鰭基秀ー実陳ー女子(押小路公音室)ー1前田玄長

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー松井維義ー季義ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー為維ー忠直ー松平康親ー康重ー康敬ー康郷ー2前田房長・・・

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー義朝ー坊門姫 (一条能保室)ー全子(西園寺公経室)ー実氏ー公相ー実兼ー公顕ー女子(二条道平室)ー良基ー師嗣ー持基ー持通ー政嗣ー尚基ー尹房ー晴良ー九条兼孝ー幸家ー道房ー愛姫(浅野綱晟室)ー綱長ー吉長ー蝶姫(酒井忠寄室)ー忠温ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

2代目前田房長との共通の祖を考えると、この★前田玄長の流れが一番しっくりくるかも・・・

秋田氏・・・ - satto320

2017/11/22 (Wed) 22:15:00

秋田氏は安東氏(安倍氏)流・・・

◎安倍頼時ー貞任ー安東高星ー尭恒ー貞秀ー尭秀ー愛秀ー尭勢ー貞季ー道貞ー重季ー政季ー忠季ー尋季ー舜季ー愛季ー1秋田実季ー2俊季ー3盛季ー4輝季ー就季ー岩子(5秋田頼季室)

〇安倍頼時ー貞任ー安東高星ー尭恒ー貞秀ー尭秀ー愛秀ー尭勢ー貞季ー道貞ー重季ー政季ー忠季ー尋季ー舜季ー愛季ー1秋田実季ー女子(荒木高綱室)ー?高宅ー高村ー5秋田頼季ー6延季ー8倩季ー10孝季ー11肥季ー12映季ー芳子(13秋田重季室)ー14一季

◎安倍頼時ー貞任ー安東高星ー尭恒ー貞秀ー尭秀ー愛秀ー尭勢ー貞季ー道貞ー重季ー政季ー忠季ー尋季ー舜季ー愛季ー安倍英季ー季道ー女子(荒木高村室)ー5秋田頼季ー6延季ー8倩季ー9長季

◎安倍頼時ー貞任ー安東高星ー尭恒ー貞秀ー尭秀ー愛秀ー尭勢ー貞季ー道貞ー重季ー政季ー忠季ー尋季ー舜季ー愛季ー安倍英季ー季道ー女子(荒木高村室)ー5秋田頼季ー7定季ー季周ー鉄子(10秋田孝季室)

よって、13秋田重季は伯爵大原重朝の2男

◎安倍頼時ー女子(藤原経清室)ー清衡ー女子(佐竹昌義室)ー隆義ー秀義ー義重ー長義ー義胤ー行義ー貞義ー義篤ー義宣ー義盛ー源姫(佐竹義人室)ー義俊ー義治ー義舜ー義篤ー義昭ー義重ー女子(高倉永慶室)ー佐竹義隣ー義秀ー義本ー義道ー蜂須賀重喜ー治昭ー綱姫(松平定永室)ー土岐頼之ー寿賀子(大原重朝室)ー13秋田重季ー14一季

15秋田美篤は公家藤大路親美の2男


◎安倍頼時ー女子(藤原経清室)ー清衡ー女子(佐竹昌義室)ー隆義ー秀義ー義重ー長義ー義胤ー行義ー貞義ー義篤ー義宣ー義盛ー源姫(佐竹義人室)ー義俊ー義治ー義舜ー義篤ー義昭ー義重ー女子(高倉永慶室)ー永敦ー女子(清閑寺熙房室)ー万里小路尚房ー女子(勧修寺高顕室)ー顕道ー経逸ー吉子(堀河康親室)ー藤大路納親ー親春ー親美ー15秋田美篤ー16伸季

佐竹氏、岩城氏がカギだったようです。

◎安倍頼時ー女子(藤原経清室)ー清衡ー?女子(岩城則道室)・・・

上杉氏 羽前米沢新田藩主家   - satto320

2017/11/21 (Tue) 18:19:54

9上杉孝久氏は粕谷信吾氏の子

https://dot.asahi.com/wa/2014121900052.html?page=1 より

どうやらこの記事からすると・・

「家屋が燃えてしまった祖母の幸子(ゆきこ)と母は、戦後2年間ほど、この蔵に住んでいたそうです。祖父・勝憲(かつのり)は戦前に亡くなり、上杉の本家から養子に入った勝昭(かつあき)が8代目となりましたが戦死。男の当主がいなくなった家を取り仕切ったのは祖母です。祖母は、それこそ武将のような人でした。座っても、ビシッとしてまったく動かない。威厳があって、ちょっと近寄りがたいくらいでした。 一人娘だった母は、豪商の粕谷(かすや)家に嫁入りしました。粕谷家は赤坂にあり、うちよりも風流で立派な屋敷でした。しかし、子爵だった上杉家のほうが家の格は上だからと、父は赤坂の家を売って、祖母と一緒に上杉家に住みました。母は、「あっちの家のほうが良かった」とずっと言ってましたけどね。祖母の強い願いで、私は中学のときに上杉家へ養子に入り、粕谷から上杉に名字がかわりました。分家とはいえ上杉家の当主になったおかげで、私はかなりテレビに出ています。・・・」

よって

7上杉勝憲ー女子(粕谷信吾妻)ー9上杉孝久ー10哲平

こんな関係のようですね。

前科者ルンペン河野元成 - 河野元成

2017/11/20 (Mon) 07:01:26

借金踏み倒し前科者ルンペン

松井家 - satto320

2017/11/19 (Sun) 19:46:08

松井家の家伝では・・
◎源為義ー松井維義ー季義ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー為維ー忠直ー松平康親ー1康重・・・

よって松井松平家唯一の養子・・・
13松井松平康載は信濃松本藩主松平(戸田)光庸の6男・・・


◎源為義ー女子(佐々木秀義室)ー定綱ー信綱ー氏信ー満信ー宗氏ー高氏(道誉)ー京極高秀ー高詮ー高光ー持清ー女子(織田敏定室)ー信定ー信康ー信清ー津田信益ー奈和(結城秀康室)ー松平直良ー満姫(松平近栄室)ー女子(戸田光正継室)ー光輝ー女子(戸田光清室)ー光為ー光行ー光庸ー13松平康載

きっとこの流れではないかと予想します。

髙家前田氏(玄長) - satto320

2017/11/19 (Sun) 18:35:22

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー義朝ー坊門姫 (一条能保室)ー全子(西園寺公経室)ー実氏ー姞子(後嵯峨天皇中宮)ー後深草天皇・・・現皇室

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー女子(佐々木秀義室)ー定綱・・・菅原氏流の養子には佐々木氏流がきっと関係があるものと思われます。

菅原道真公と斉世親王・・・やはり皇室に流れがありました。



高家前田(玄長)家の
前田房長・・・きっとこの流れかも

2房長は石見浜田藩主松平(松井)康豊の弟
7長徳は信濃高島藩主諏訪忠粛の4男
8長礼は肥前唐津藩主小笠原長泰の3男


◎菅原道真ー淳茂ー在躬ー輔正ー為紀ー前田忠貞ー仲章ー仲国ー仲房ー仲行ー行忠ー忠房ー忠光ー忠俊ー仲俊ー忠隣ー前田季基ー利世ー利見ー利恒ー利茂ー基茂ー基光ー基勝(玄以)ー女子(三条西実条室)ー公勝ー押小路公音ー1前田玄長

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー通季ー女子(徳大寺実能妾)ー公保ー女子(坊門信清室)ー女子(四条隆衡室)-隆親ー隆良ー隆宣ー隆宗ー隆冬ー女子(勧修寺経豊室)-経成ー教秀ー女子(今出川公興室)ー季孝ー女子(庭田重親室)ー重保ー正親町季秀ー持明院基久ー河鰭基秀ー実陳ー女子(押小路公音室)ー1前田玄長

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー三条実行ー公教ー実房ー正親町三条公氏ー実蔭ー公貫ー実躬ー公秀ー実継ー三条西公豊ー公保ー実隆ー公条ー実枝ー公国ー実条ー公勝ー押小路公音ー1前田玄長

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー通季ー女子(徳大寺実能妾)ー公保ー女子(坊門信清室)ー女子(四条隆衡室)-隆親ー隆良ー隆宣ー隆宗ー隆冬ー女子(勧修寺経豊室)-経成ー教秀ー女子(三条西実隆室)ー公条ー実枝ー公国ー実条ー公勝ー押小路公音ー1前田玄長





よって
2前田房長は石見浜田藩主松平(松井)康豊の弟

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー松井維義ー季義ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー為維ー忠直ー松平康親ー康重ー康敬ー康郷ー2前田房長ー3清長ー4珍長

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー松井維義ー季義ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー為維ー忠直ー松平康親ー康重ー康敬ー康郷ー2前田房長ー3清長ー5長皓ー6長義

◎菅原道真ー寧子(斉世親王室)ー英明ー堯時ー女子(源時通室)ー雅通ー女子(源兼長室)ー隆長ー女子(源義家室)ー義親ー為義ー松井維義ー季義ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー〇ー為維ー忠直ー松平康親ー康重ー康敬ー康郷ー2前田房長ー3清長ー松平康保ー女子(7前田長徳室)

2前田房長室は・・・
●菅原道真ー淳茂ー在躬ー女子(盛明親王妃)ー源則忠―道成―女子(藤原実綱室)―有綱―女子(源義家室)―義国―義重―得川義季―世良田頼氏―教氏―家持―満義―政義―親季―有親―松平親氏―酒井広親―家忠―信親―家次―清秀―正親―忠利―忠勝ー長松院(朝倉宣親室)ー青木重正ー直正ー直宥ー女子(2前田房長室)ー3清長・・・・

7前田長徳は信濃高島藩主諏訪忠粛の4男は・・
●菅原道真ー淳茂ー在躬ー女子(盛明親王妃)ー源則忠―道成―女子(藤原実綱室)―有綱―女子(源義家室)―義国―義重―得川義季―世良田頼氏―教氏―家持―満義―政義―親季―有親―松平親氏―信光ー親忠ー長親ー義春ー女子(本多広孝室)ー康重ー女子(諏訪頼水室)ー頼郷ー頼常ー頼篤ー忠林ー忠厚ー忠粛ー7前田長徳


●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー女子(藤原憲輔室)ー盛実ー顕憲ー盛憲ー清房ー上杉重房ー頼重ー頼成ー藤成ー頼顕ー氏定ー持朝ー三浦高救ー義同ー正木通綱ー時茂ー女子(里見義頼側室)ー?正木義断(康盛)ー女子(諏訪頼郷室)ー頼常ー頼篤ー忠林ー忠厚ー忠粛ー7前田長徳

▲菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー女子(藤原憲輔室)ー盛実ー顕憲ー盛憲ー清房ー上杉重房ー頼重ー頼成ー藤成ー頼顕ー氏定ー持朝ー三浦高救ー義同ー正木通綱ー時茂ー女子(里見義頼側室)ー?正木義断(康盛)ー〇ー?正木時清ー女子(諏訪頼篤室)ー忠林ー忠厚ー忠粛ー7前田長徳

8前田長礼は肥前唐津藩主小笠原長泰の3男は・・・

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー敦敏ー女子(藤原為光室)ー斉信ー女子(源頼清室)ー兼宗ー女子(源義清室)ー逸見清光ー武田信義ー信光ー信政ー信時ー時綱ー信宗ー信武ー信成ー信春ー信満ー信重ー信守ー信昌ー女子(小笠原清宗室)ー長朝ー貞朝ー長棟ー長時ー貞慶ー秀政ー忠真ー市松姫(黒田光之室)ー長清ー継高ー為姫(酒井忠温室)ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー通季ー公通ー実宗ー西園寺公経ー綸子(九条道家室)ー二条良実ー兼基ー道平ー良基ー師嗣ー持基ー持通ー政嗣ー尚基ー尹房ー晴良ー九条兼孝ー幸家ー道房ー愛姫(浅野綱晟室)ー綱長ー吉長ー蝶姫(酒井忠寄室)ー忠温ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー通季ー公通ー実宗ー西園寺公経ー実氏ー公相ー実兼ー公顕ー女子(二条道平室)ー良基ー師嗣ー持基ー持通ー政嗣ー尚基ー尹房ー晴良ー九条兼孝ー幸家ー道房ー愛姫(浅野綱晟室)ー綱長ー吉長ー蝶姫(酒井忠寄室)ー忠温ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

●菅原道真ー高視ー雅規ー資忠ー孝標ー定義ー在良ー善弘ー在長ー高辻長守ー為長ー五条高長ー長経ー東坊城茂長ー長綱ー女子(二条師嗣室)ー持基ー持通ー政嗣ー尚基ー尹房ー晴良ー九条兼孝ー幸家ー道房ー愛姫(浅野綱晟室)ー綱長ー吉長ー蝶姫(酒井忠寄室)ー忠温ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー経平ー睦子(藤原実季室)ー公実ー通季ー公通ー実宗ー西園寺公経ー綸子(九条道家室)ー二条良実ー兼基ー道平ー九条経教ー満家ー政基ー尚経ー経子(二条尹房室)ー二条晴良ー九条兼孝ー幸家ー道房ー愛姫(浅野綱晟室)ー綱長ー吉長ー蝶姫(酒井忠寄室)ー忠温ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

●菅原道真ー衍子(宇多天皇女御)ー源順子(藤原忠平室)ー実頼ー斉敏ー懐平ー経通ー女子(藤原憲輔室)ー盛実ー顕憲ー盛憲ー清房ー上杉重房ー頼重ー頼成ー藤成ー頼顕ー氏定ー女子(今川範政妻)ー範忠ー義忠ー氏親ー?女子(関口親永室)ー築山殿(徳川家康室)ー岡崎信康ー登久姫(小笠原秀政室)ー忠真ー市松姫(黒田光之室)ー長清ー継高ー為姫(酒井忠温室)ー忠徳ー小笠原長泰ー8前田長禮ー9長善・長興

8前田長禮室は・・・

●菅原道真ー淳茂ー在躬ー女子(盛明親王妃)ー源則忠―道成―女子(藤原実綱室)―有綱―女子(源義家室)―義国―義重―得川義季―世良田頼氏―教氏―家持―満義―政義―親季―有親―松平親氏―酒井広親―家忠―信親―家次―清秀―正親―忠利―忠勝ー長松院(朝倉宣親室)ー青木重正ー加藤明教ー明煕ー明陳ー明允ー明邦ー光(8前田長禮室)

新発見! - satto320

2017/11/16 (Thu) 20:17:23

妄想として以下のように考えていましたが・・
●平正盛(丹後守)ー忠正ー?比企尼(比企掃部允妻)ー朝宗ー姫の前(北条義時室)ー朝時・重時

新しい発見!

姫の前(北条義時室)・・ウィキによると
「建仁3年(1203年)9月、比企能員の変が起こり、実家である比企氏が夫義時率いる軍勢によって滅ぼされる。『吾妻鏡』ではその後の姫の前の消息については不明であるが、『明月記』嘉禄2年(1226年)11月5日条によると「源具親の子(源輔通)は北条朝時の同母弟で、幕府から任官の推挙があった」と記しており、輔通は元久元年(1204年)生まれである事から、
姫の前は比企の乱の直後に義時と離別して上洛し、源具親と再婚して輔通を生んだものと見られる。天福元年(1233年)に朝時の猶子となった具親の次男・源輔時も姫の前所生と見られる。

この記事が正しいなら

●平正盛(丹後守)ー忠正ー?比企尼(比企掃部允妻)ー朝宗ー姫の前(源具通室)ー輔通・輔時(北条朝時猶子)

正し、尊卑分脈では、源輔通母は平重時女となっている。どちらが正しいか、年代を考証してみると・・・
平教盛 1128-1185
比企朝宗                源師光 1131頃-1204頃
姫の前 ?-1207            源具親?-?           
北条重時1198-1261 北条朝時1193-1245 源輔通 1204-1249 


ということで、尊卑分脈は誤記ですね。

ということは、どうも誤解していたようです。比企朝宗は比企掃部允の子なのかと思っていましたが、どうやら丹後内侍と同じ平教盛?なのかも。

源具親について調べてみると・・

●源師房ー俊房ー師頼ー師光ー具親ー輔道ー女子(源雅忠室)

〇藤原頼成ー祇子(藤原頼通妾)ー師実ー能実ー女子(源師頼)ー師光ー具親ー輔道・輔時

比企朝宗の父が平教盛なら

●源師房ー麗子(藤原師実室)ー師通ー家隆ー女子(平忠盛妾)ー教盛ー?比企朝宗ー姫の前(源具通室)ー輔通・輔時

〇藤原頼成ー祇子(藤原頼通妾)ー師実ー師通ー家隆ー女子(平忠盛妾)ー教盛ー?比企朝宗ー姫の前(源具通室)ー輔通・輔時

ということで

●平正盛(丹後守)ー忠正ー?比企尼(平教盛妾)ー朝宗ー姫の前(源具通室)ー輔通・輔時(北条朝時猶子)

●平正盛(丹後守)ー忠正ー?比企尼(平教盛妾)ー朝宗ー姫の前(北条義時室)ー重時ー葛西殿(北条時頼室)ー時宗・・・得宗家

●平正盛ー女子(藤原清隆室)ー?女子(平範家室)ー親範ー基親ー女子(北条重時継室)ー?葛西殿(北条時頼室)ー時宗・・・得宗家

一介の御家人(比企氏)の娘が、摂関家に非常に近い者に、再婚という形で入るだろうか?やはり、比企氏は比企尼を通して、公家社会に通じる貴種だったのではないかと思うのです。

北条得宗家・・・・ - satto320

2017/11/14 (Tue) 01:44:48

●高階成章ー章行(阿波守)ー章尋(号阿波)ー法印澄雲ー?阿波局(北条義時妾)ー泰時・・北条得宗家

・平正盛(丹後守)ー政子(若狭局、法印澄雲妻)ー?阿波局(北条義時妾)ー泰時・・北条得宗家

もし、この流れなら、平重盛流の長崎氏が得宗家御内人となる理由も納得できるかも・・。

※高階成章ー為家ー女子(源家実室)ー高階基章ー女子(平清盛室)ー重盛ー資盛ー盛綱・・・(得宗家御内人、長崎氏)

※高階成章ー章行(阿波守)ー章尋(号阿波)ー澄雲ー栄子(丹後局、平業房室)ー業兼 ー業光ー女子(吉田経俊室)ー坊城俊定ー定資ー勧修寺経顕・・・勧修寺家

さらにこの流れは、勧修寺家に・・・・

北条泰時の母は? - satto320

2017/11/13 (Mon) 22:19:26

北条時政 1138-1215
北条義時 1163-1224 北条政範1189-1204 平賀朝雅?-1205 三条実宣(滋野井実宣)1177-1228 宇都宮頼綱1172-1259
北条泰時 1183-1242

北条義時の長男、北条泰時
朝時、重時を抑え、北条得宗家を確立する。さて、この北条泰時の出自を妄想しようと思います。まず、庶長子であるとの記載があるが、下賤の者が母であるというのは考えにくい。それ相応にある程度の身分であり、貴種であったと考えてよいと思う。ではどんな出自か?北条得宗家を持ちあげる「吾妻鑑」が明確にしない理由が何かあるのかもしれない。

ヒントはこれまた母の名前ではないかと考える。母の名前は「阿波局」・・・。

北条時政を見ると、継室牧の方を京都から迎えている。ウィキによると、「寿永2年(1182年)11月、産後の継娘・政子に夫・源頼朝の浮気を伝え、政子が牧の方の父宗親に命じて頼朝の愛妾・亀の前の屋敷を打ち壊させる騒動を引き起こしている」・・・北条泰時の生まれる前にはすでに継室であったことがわかる。

牧の方とは?「鎌倉幕府の初代執権・北条時政の継室。牧宗親の娘とも、妹とも言われ、下級ながらも貴族の出身であった。」ウィキより

牧宗親ー?牧の方(北条時政継室)ー政範・平賀朝雅室・滋野井実宣室・宇都宮頼綱室

時政の娘が京都の公卿のところへ嫁に入っている。ということはやはり、京都出身であるということがわかる。

では牧野宗親とは?「『尊卑分脈』に見える頼盛の母宗子の弟・藤原宗親と同一人物とする。杉橋隆夫1994」ウィキより

泰時の母も京都出身ではないだろうかと考えられる。

妄想するにあたり、この「阿波局」を特定する条件として考えなければならないことは、
①弟の朝時、重時の出自と同格あるいはそれ以上。正室「姫の前」・・・平忠正曽孫?と想像。
②やはり、桓武平氏にかかわりのある者。
③祖父や父が阿波守である者?

と「阿波守」を検索すると・・・高階章行(阿波守)
尊卑分脈で確認すると、

高階章行(阿波守)ー章尋(号阿波)ー澄雲ー栄子(丹後局)

あれ!たしか丹後局は、

平正盛(丹後守)ー政子(若狭局、法印澄雲妻)ー?高階栄子(丹後局、平業房室)

ということは、もしかして・・・・

〇在原業平ー女子(高階業遠室)ー成章ー章行(阿波守)ー章尋(号阿波)ー法印澄雲ー?阿波局(北条義時妾)ー泰時

〇平正盛(丹後守)ー政子(若狭局、法印澄雲妻)ー?阿波局(北条義時妾)ー泰時
※平正盛(丹後守)ー忠正ー?比企尼(比企掃部允妻)ー比企朝宗ー姫の前(北条義時室)ー朝時・重時

 これなら、同格かそれ以上。ただし父は法印なので側室?


年代的には

高階成章990-1058     
高階章行(阿波守)
章尋(号阿波)
法印澄雲
高階栄子(丹後局)1151?-1216 阿波局 北条義時1163-1224
北条泰時 1183-1242

それから、なぜ頼朝が娘の大姫を後鳥羽天皇に入内させようとしたとき、丹後局に働きかけたか、納得がいきます。
「丹後局は頼朝とも親密な関係にあったらしく、頼朝とは常に進物を贈りあいしているというしたたかさもあった。」ウィキより

それから、この丹後局の息子になる教成。山科家を創造する。唯一、貴族社会の中で、武士の子が貴族に成り上がった家である。丹後局の権力もあったであろうが、幕府の後押しもあったのではないかと思える。

平正盛(丹後守)ー政子(若狭局、法印澄雲妻)ー?高階栄子(丹後局、平業房室)ー教成・・・・山科家

平貞盛ー維衡ー正度ー維盛ー貞度ー盛房ー業房ー教成(藤原実教猶子)・・・・山科家

平貞盛ー維将ー維時ー直方ー聖範ー時直ー時家ー時方ー時政ー義時ー泰時・・・・北条氏(家伝)

さて、またまた妄想でした。

髙徳天皇、北畠親房、そして平清盛 - satto320

2017/11/13 (Mon) 16:17:54

朝倉氏を見ていると、開化天皇後裔もしくは孝徳天皇後裔の家伝があるとのこと。今まで、皇室の祖に孝徳天皇流は見つからなかったのですが、もしかして・・・と朝倉氏を調べてみると、・・・

●孝徳天皇ー?表米親王ー日下部荒島ー治長ー国富ー国守ー乙長ー磯主ー貞禰ー利実ー用樹ー蕃在ー親泰ー弘佐ー佐晴ー朝倉宗高ー高清ー安高ー高吉ー高実ー高景ー高資ー広信ー1広景ー2高景ー3氏景ー4為景(貞景)ー5教景ー6家景ー7孝景ー8氏景ー9貞景ー10孝景ー11義景

ありました。伝説で?の部分はありますが、織田氏とのつながり・・。

※孝徳天皇の皇子、有馬皇子は「斉明天皇4年11月9日(658年12月9日)に中大兄皇子に尋問され、その際に「全ては天と赤兄だけが知っている。私は何も知らぬ」(天與赤兄知。吾全不知)と答えたといわれる。翌々日に藤白坂で絞首刑に処せられた。」ウィキより・・・非業の死を遂げた人物。朝倉氏はその弟という表米親王の子孫という家伝を持つ。

〇孝徳天皇ー表米親王ー日下部荒島ー治長ー国富ー国守ー乙長ー磯主ー貞禰ー利実ー用樹ー蕃在ー親泰ー弘佐ー佐晴ー朝倉宗高ー高清ー安高ー高吉ー高実ー高景ー高資ー広信ー1広景ー2高景ー3氏景ー4為景(貞景)ー5教景ー女子(織田久長室)ー?敏定ー信定ー信秀ー信長ー信雄ー高長ー長頼ー信武ー信休ー女子(柳原光綱室)ー紀光ー均光ー隆光ー光愛ー愛子(明治天皇権典侍)ー大正天皇ー昭和天皇ー今上天皇

○孝徳天皇ー表米親王ー日下部荒島ー治長ー国富ー国守ー乙長ー磯主ー貞禰ー利実ー用樹ー蕃在ー親泰ー弘佐ー佐晴ー朝倉宗高ー高清ー安高ー高吉ー高実ー高景ー高資ー広信ー1広景ー2高景ー3氏景ー4為景(貞景)ー5教景ー女子(織田久長室)ー?敏定ー信定ー信秀ー信長ー信雄ー信良ー女子(稲葉信通室)ー知通ー恒通ー女子(勧修寺顕道室)ー道子(柳原紀光室)ー均光ー隆光ー光愛ー愛子(明治天皇権典侍)ー大正天皇ー昭和天皇ー今上天皇

さらにそこから、・・・なるほど、神皇正統記を表した、南朝の忠臣北畠親房・・・

◎北畠親房ー顕能ー顕泰ー満雅ー教具ー政郷ー材親ー晴具ー木造具政ー女子(織田信雄継室)ー信良ー女子(稲葉信通室)ー知通ー恒通ー女子(勧修寺顕道室)ー経逸ー婧子(光格天皇典侍)ー仁孝天皇ー孝明天皇ー明治天皇ー大正天皇ー昭和天皇ー今上天皇

さらにそこから・・・やはり平清盛に・・・・

◎平清盛ー女子(四条隆房室)ー隆衡ー隆盛ー隆教ー隆重ー女子(北畠師重室)ー親房ー顕能ー顕泰ー満雅ー教具ー政郷ー材親ー晴具ー木造具政ー女子(織田信雄継室)ー信良ー女子(稲葉信通室)ー知通ー恒通ー女子(勧修寺顕道室)ー経逸ー婧子(光格天皇典侍)ー仁孝天皇ー孝明天皇ー明治天皇ー大正天皇ー昭和天皇ー今上天皇

織田氏はやはり桓武平氏を意識したのではないでしょうか。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.